こころの成長と統合

 解離の話で、心の分裂について少し触れましたが、心の分裂について、さらに話を深めたいと思います。

この間、TVで「ハリー・ポッター」を観ていて、ヴォルデモードが自分の魂をいくつかに分けて保存する「分霊箱」を作り、自分の命を守ろうとしたという部分で「なるほどな」と、納得しました。

自分の「こころ」を分けて自分を守ろうとするというのは、「解離のカウンセリング」でお話ししましたが、実は解離だけではなく、私たちはいつも自分を守ろうとして「魂」を分ける様々な試みをしているのです。

解離は、心の分裂を説明する上で、一番はっきりした現れ方で、まさに人格が分裂した状態なのですが、心の分裂状態はそのほかにもいろいろあります。

たとえば、「投影」はもっともありふれた心の分裂状態です。人が「あの人は自分を責めているに違いない。」と思い込む場合、しばしば実は自分自身が自分を責めている場合が多いものです。自分を責めているのは自分自身だという真実に気が付くのが辛いときに、「自分を責めているのは自分ではなく、相手のほうなんだ。」と思い込むことで、心の負担を軽くしようと試みるのです。

投影の応用例で、「敵」と「味方」を分けて、両方とも外部の誰かに投影する方法もよく見かけます。ハリウッド映画などにはこのような「勧善懲悪」の分かりやすいストーリーが好まれます。が、それで一時的に「善」を守り「悪」を倒しても、悪は次々に進化して何度も襲いかかります。

トマス・ハリスの小説「羊たちの沈黙」で、最後レクター博士は犯人を倒して人質を救い出した、FBI訓練生の主人公クラリスに、「子羊たちの悲鳴は止んだか?」と質問します。クラリスは、警察官だった父親が銃で打ち殺されて、幼いころ親戚に預けられますが、その親戚の牧場で、子羊たちが屠殺される悲鳴を聞いて、目の見えない仔馬とともにそこから逃げ出したという幼いころのトラウマを持っています。レクター博士は続いて「答えがイエス&ノーでも驚かない。・・・しかし君は何度もその沈黙を自分の手で勝ち取らねばならない。なぜならば、世の中の悪は絶えないから。」

レクター博士は鋭いな、と感心します。自分の心の中の「良いもの」と「悪いもの」を分けて、外部に投影するやり方は、「悪いもの」を退治したり排除することによって一時的には平安を保てますが、まさに「その沈黙を勝ち取る」ために何度も外部の悪を倒さなければならないからです。

心の分裂の中で、「解離」は自分自身の人格を引き裂く方法で、一番、原始的な方法です。対象を敵と味方を分ける方法は、それに比べてはるかに進化した方法です。

けれど、どのような方法であっても、こころを守るためにこころを「分ける」という手段は、丸ごとの人生を生きるためには支障をきたします。まさに、ヴォルデモードの「分霊箱」のように、生きる実感が奪われることにつながるのです。

心が成長するということは、言い換えれば心が一つに統合されてゆくことでもあるのですが、その統合は生涯かけて達成されるものです。

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