トラウマ、扁桃体とアタッチメント

 子どもの頃、私は人慣れしていない野良猫が、初めはエサをやる人に対してもシャー!と威嚇して逃げていくのが、だんだんと慣れてくるとすり寄って来て甘える様子を見て、不思議に思っていました。特に生まれたばかりの子猫などは、知らない人に対して逃げるか甘えるかをどう決めるのだろう?どちらにもリスクがあり、間違えると命を落とす危険がある、けれど逃げるか近づくかのどちらかを選ばなければいけないし、甘えた相手に虐待される可能性を考えると心が痛みました。

その後心理学を学び、人の心について学ぶようになり、さまざまな学派の理論や最新の脳科学に触れていき、特に脳科学やトラウマ、アタッチメント理論を考える上で私が子どもの頃に感じた疑問は人間にとっても本質的な矛盾であり、葛藤にもなりえる問題だろうと思い至りました。

最近の脳科学では、人は生育歴で起きたトラウマ的な出来事を、無意識のレベルで海馬という脳の部位に刷り込まれて、それを思い起こすような引き金になるきっかけがあると扁桃体が「危険だ!」と不安を警告します。扁桃体は不安を司る部位で、そこが一旦興奮すると、交感神経が興奮し、アドレナリンが分泌されて心拍が上がり、人は「不安」を意識します。

この不安は海馬からの記憶由来のものなので、必ずしも今現在の不安とは限らないのですが、いったん不安になると「吊り橋効果」のように不安になることに理由を探して対処しようとしてしまいます。このためにますます不安は固定化されて、今現在のありありとした不安のように感じてしまい、どうにか対処しなくてはと人は焦ってしまいます。

もちろん、その不安が今現在の、本当にすぐに対応しなければいけない場合もありますし、そのような時には扁桃体由来の不安は役に立ちます。危険に対して「戦う」「逃げる」「(それもできない時は敵に見逃される確率を高めるために)凍り付く」という反応は、動物が捕食者から身を守るために最初に発達させた本能で、生存に関わるために、人間にも最も強く影響を与え、抗うのが困難な衝動です。

不安と扁桃体の他に、もう一つ人の、というよりも哺乳類に共通する本能として、これまで何度か言及してきた「アタッチメント(愛着)」があります。これはやはり哺乳類が生き残るリスクを減らすために発達したと考えられる本能です。つまり自分を守り哺乳してくれる養育者(主に母親)に対して近づき、依存する行動自体で安心感を得るという本能です。アタッチメントはまず最初は特定の一人の養育者にくっつくことで成立します。人見知りや後追いは、このアタッチメントが形成されてきているサインで、そのために乳児の発達の目安にされるのです。

人の複雑な感情や思考も、基本的にこの二つ極めて動物的な本能に大きく影響を受けながら、その後も発達をしていきます。

扁桃体由来の不安は、人を緊張させて、危険に備えよとサインを出します。対するアタッチメントは人に近づいて依存することで不安や緊張を緩めようとします。

そこで私が子どもの頃に感じた疑問に戻りますが、「その二つの対象が同じならば、どうなるのだろうか?」ということです。安心しようと近づきたい相手から不安を与えられると、子どもはその矛盾に戸惑い、迷います。その子がそれにどう対応していくのか、あるいはどんな形でその葛藤と折り合うのか、それはその時与えられた不安の性質や程度、あるいはとても幼い時から始まったのか、年長になってからか、その代わりになる愛着対象がその時存在したかどうかなど、さまざまな要素によって、あるいはその子の生まれ持った気質によってさまざまなバリエーションが生まれ、多くは適応に支障がない程度に留まりますが、状況によってはその問題が顕在化することがあります。

問題は、その二つが人間の理性的な思考よりももっと奥深くから来る、動物的な本能から来る影響のために理性的な判断では変化が難しい領域であるということです。

この部分がどう入り組んでいるかを見立てながらセラピーをしていくことが、私のセラピーの骨組みとしている部分です。もちろん、人の場合はこの先もっと複雑な問題を起こしがちな発達課題がたくさんあります。それは主にアタッチメントが形成された以降、その対象を取り入れる「内在化」という現象から由来する不安との葛藤ですが、その説明はとても複雑で、多くのバリエーションがあるためにまたの機会にゆっくりと語りたいと思います。