複雑性PTSDと発達性トラウマ 生き辛いと感じる方へ

 近年、アタッチメント(愛着理論)や脳科学、そしてトラウマについての研究の発展で、臨床心理学は新しい局面を迎えています。

これまでの心理療法ではなかなか治らない、あるいは中断してしまうような「難事例」と分類されていた方たちに新たな理解が生まれてきたのです。

ご存じない方のために簡単に説明すると、複雑性PTSDとは一つの大きな外傷のPTSDではなく、長期間複雑な要素が絡んで起こるPTSDで、その中でも発達性トラウマとは

早い場合は乳幼児期から持続して(主に養育者から受ける)トラウマのことです。

 トラウマと言っても、はっきりと分かる性的、あるいは暴力などの肉体的虐待の場合もありますが、暴言を頻繁に受けたり見聞きしてそれに恐怖を感じてきたことも含まれます。

子どもの場合は直ちに生命の危険がなくても自分が頼りとしている養育者からの暴力暴言や傷つけられるようなしつけが容易にダメージとなりますし、何よりもその傷つきを理解して和らげてくれる存在がなかった場合、孤立無援の無力感を感じ続けてしまいます。そしてこのような心の傷は、子どもの心には耐えきれないために記憶として忘れ去ったり、覚えていても「大したことはない」と感情から切り離されがちになり、その結果大人になってもその名残に影響を受け続けます。

具体的な症状としては、従来のトラウマと同じくフラッシュバック(トラウマを受けた場面を詳細に思い出してしまう)やトラウマを連想する場面に遭遇すると(例えば自分に対してでなくても上司が大声で叱責する)ドキドキが止まらなくなったり逃げたくなったりうつ症状が出るなどは典型的ですが、トラウマへの防衛として過剰に人に嫌われないように振舞ったり、あるいは人と親密になることが無意識に危険に感じられて親しい関係になることを避けたり、長年続くうつ症状が出現したりします。以前から「子どものころから死にたいと思っていた」というクライエントさんが一定数いましたが、これらは多分この発達性トラウマと関係があるのだろうと思い返して考えています。

どうしてそんな多彩な精神症状が出現するのか?近年の脳科学では動物にも存在する扁桃体との関係が強調されてきています。扁桃体は哺乳類にも爬虫類にも存在して、生存のために危険や不安を警告する脳の部位です。生存にダイレクトにかかわる脳ですから、警戒サインが出ると真っ先に察知されて危険回避のために戦う、逃げる、あるいはそれも叶わなければ凍り付くといった原始的反射を取ろうとします。扁桃体にいったん刻まれた危険信号は生存に関わるので生物にとって最も記憶に残りやすいのです。

よくクライエントさんが「辛いことばかり繰り返して思い出してしまう」と訴えることがありますが、これは脳が危険を回避しようとすると当然の反応なのです。

トラウマは養育者からのものとは限りませんが、酷いいじめに長期間晒され、誰にも助けてもらえなかった、助けてもらえないと思って打ち明けることもできなかったような無力感を伴う経験が続くと発達性トラウマの状態になる確率が高まります。

そして私の臨床経験の中で心痛めるのは、この発達性トラウマと思われるクライエントさんが長年の臨床経験で決して少なくないということです。トラウマの性質として、あまりにも辛い体験、不安な体験は忘れたり大したことがないと矮小化して何とかやり過ごしますが、意識しなくても取り残されたそのようなトラウマは心の奥に留まり、不安や無力感、生きていることに対する虚しさを引き起こします。そしてもっと痛々しいことには、クライエントさんたちはその原因を自分の弱さや恥ずかしい部分として自分の責任や問題と考えて、しばしば他者からもそう思われてしまうことです。

「なぜ私は普通の人のようにできないんでしょう?」という言葉を、何人もの人から幾度も聞き続けてきました。

アタッチメントやトラウマの概念を知ってからはまずこれは偏桃体に刻み込まれた反応から来ているものであって、決して自分の弱さや悪さの問題ではないことをまず強調します。それでも長年習慣化された気分障害、強迫的に思い浮かぶ辛い出来事、自尊心の低さなどはすぐには解決しませんし、丁寧にその人のたどった人生やそこから続く困難さを探っていく必要があります。

それでも辛い記憶や感情がよみがえった時にはクライエントさんはかなり辛い体験を潜り抜けなければいけませんし、それを何とか緩和して安全に支えていけることがセラピーの重要な役割だと思っています。

私の残りの人生で、この発達性トラウマのセラピーと、発達性トラウマを再生産しないための予防として何ができるかという課題をライフワークとして、私のできるだけのことをやりたいということが私の夢になっています。