不安について

 私事ですが、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、去年8月より今年1月まで病気療養でお休みをいただいておりました。実は検査の結果大腸がんと診断されて手術をし、術後もしばらくお休みしました。

 結果的には幸いなことにリンパ節への転移も見られなかったために手術だけで抗がん剤も使わずに復帰できましたが、当初は人生初めての大病、しかもがんになってしまった、これからどうなるのだろうか?などと考えて大変不安な思いをしました。

 身体的な苦痛や死への恐怖というのは、言うまでもなく生物にとって根本的に組み込まれている不安感情ですが、病はそれを脅かします。不安におびえるということは成人になってからほとんど記憶にありません。が、子どものころ、悪夢を見て夜中に目を覚ました時、身体を動かすのさえ怖かったのを思い出します。子どものころはそのような不安感を感じたことが多くの人にあるのではないかと思います。今回の私もちょうどそんな恐怖を夜中に感じることがありました。それはなかなか言葉にできない、感情とも言い難いものですが、強いて言葉にすれば、それは突然日常を突き破りやってきて日常生活から私だけを無理やり引き離され、何もない暗闇に放置され、誰にも気づいてもらえないというような。その時の私の不安を言葉にするとそのようなものでした。

 もちろんその不安は一時的なもので、そして私には援助してくれる人がたくさんいましたし、しばらくすると落ち着くことができましたが、大人になって以来感じることのなかった生々しい不安の感覚は忘れることができません。生存欲求を脅かされるということはあらゆる不安の根底にある不安なのだと痛感しました。

 「不安」という言葉は感情を表す言葉の中でも一番漠然としています。社会不安、対人不安、あるいは心気症(病気を過度に心配する不安症)などいろいろな不安症状がありますが、大抵の場合「なぜそれがそれほど不安なのか?」を言葉にできないし自分でも分からないのです。まさに語り得ないことが不安を不安たらしめるのです。

 私の例で言うと、私の不安はがんになりもしかすると死んでしまうかもしれない可能性があったということが原因ではありますが、あの漠然とした、けれど圧倒的な不安感は言葉にして伝えられないし、伝えても理解されないものではないかとその時は感じました。

 のちにSNSなどで同じ病気の人達を見つけてその人たちの体験を聞いたり、また何よりも自分の不安について語ったり理解してもらえたと感じる感覚が生まれてから、だんだんと当初の不安は軽くなっていきました。もちろん、どうやら命に関わる可能性は薄いと検査結果で分かったことで安心したのですが。

 しかしなぜか今あの頃の不安を思い起こそうとすると霧がかかったようにうまく思い出せないのです。この現象は専門的にいうと大きな外傷体験の後の解離なのだと思います。

 このように不安というものは突き詰めるとその根底には生物としての死の恐怖があると思います。それは本能なのである程度は避けられないものなのですが、それが暴走すると社会生活をよりよく生きるのが難しくなります。不安を抱えつつどう折り合っていけばいいのかというのは私たちの人生の重要な課題でもあります。

 私なりに考えるひとつの方法は「不安を語る」「相手に伝えて相手の理解を得る」「物語を作る」という方法です。

 語り得ないような自分の不安をなんとか言葉にする努力をしていくと、それはそれ自体大変困難なことですが、少しずつでもそれに形を与えることができます。そしてそれが相手に伝わったと感じることができれば、少なくとも自分が一人きりで打ち捨てられるという感覚は和らぎます。不安が理解されたと感じることで、その名付けようのない不安は辛さや悲しみや寂しさに変わるのですが、そしてそれは一時的には不安よりも辛いことかもしれませんが、不安と心の折り合いをつけるために前進したことになります。そしてこの作業には、耳を傾けてくれる相手が必要です。もちろん日記のように文章にして自分自身に語り掛けることも不可能ではありませんが、耳を傾けて理解しようとしてくれる他者の存在があることで、その時の衝撃が和らぐことも事実です。

 しかし大抵不安を抱える人は、自分の不安を圧倒的で他者にも耐えられないものだと感じるために、語ることで相手も辛くなり相手を傷つけたり相手に見捨てられるかもしれないとどこかで感じているために、伝えようとすることさえためらってしまうことが多く、これが悪循環になってますます不安に触れることも語ることもできなくなりがちです。

 不安が症状として固定化され、長い年月が過ぎてしまった場合には、親しい家族や友人でもかなり対応が難しいのですが、例えばがん患者などの場合、発病までは比較的健康な人生を送ってきた方が多いので、支えてくれる家族がいる方の場合、進行がんでかなり辛い療養生活を送る人でも比較的穏やかに充実して暮らすことも可能です。それを見ると「がん患者」とひとくくりにしても不安の内容や不安への耐性はその人の個性、その人の人生そのものから来ていることを実感します。