講演会原稿「思春期の心性」最終

 C君にもこのようなことが起こっています。

 C君が不登校から回復するまでには長い時間がかかりました。でもこの時間はただ過ぎていったものではなく、C君が一旦現実から撤退して安全な場所で自分ひとりの時間を持ち、自分の意志を確かめるために必要な時間だったのです。思春期の不登校は大人の引きこもりと違って、一人の時間の中でも大きな変化が起こります。このケースのC君も、初めの混乱状態が落ち着くと身体症状も収まり、葛藤しながらも自分の意志が次第に芽生えていきました。

 よくお母さんからの質問で、「家ではとても普通に過ごしていますが、学校に行かないといけないという気持ちはないのでしょうか?」と聞かれますが、不登校でも大抵の子どもは学校に行かないといけない、あるいは友達を作りたいという気持ちを強く持っているものです。C君は好きな歌手と自分とを重ねることによって、再登校への不安を乗り越える勇気を育てました。C君のように現実の人物でなくとも架空の物語、ゲームキャラクター、アニメ、歌手などにのめり込む中で自分の中の勇気を手に入れるきっかけを得ることもこの時期によくあることです。あるいは声優や歌手、漫画家になるというような、非現実的ともいえる夢を語ることもありますが、それらも彼らが「自分の人生を自分で選び取る」ための試行錯誤のプロセスだと考えると理解できます。

 父親に反抗することなどなかったC君でしたが、「自分の不登校は自分の責任だ。」と父親に言い切るまでに成長しました。自分の行動への責任を表明したのです。これは大人であるための重要な要素です。それまでとは見違えるほどしっかりした、自分の意見をしっかりと持った少年がそこにいました。

 私はこれまでの16年間のスクールカウンセラーの経験の中で、思春期の子どもたちがC君のような変化を遂げる姿を何人も見てきました。それは本当に大きな変化なので初めのうちはびっくりしましたが、それだけの力が思春期とその変化には含まれているのでしょう。この体験こそ今日私が保護者の方にお伝えしたいと思ったことです。思春期の子どもには大人が何かをこちらから「与えなければ」と思う必要はありません。たいていの場合は、時がたつと自分でつかみ取る力を得るものです。その際、子どもの不安が高まり、親を必要とすることもありますが、親はただ子どもを見守り、子どもが語り掛ける声を聞いて応えるだけで、幼児の時に培った「安全基地」としての親の役割を充分果たしているのです。

 C君のような子にとって不登校は危機というよりも幼児期にやり残した課題をやり遂げるチャンスではと私は内心考えています。うまくそれを通り抜けることができると、それまでとは見違えるように変化した、自分の意志や夢を持った青年に出会うことができるからです。

 

 これでこの長い講演原稿は終わりです。途中の長い中断も含め、読み通してくださってありがとうございました。