同調圧力と不安

 同じ地域で長年心理臨床を続けていると、その地域独特の特性やそれに伴って起こる問題が見えてきます。面白いもので、狭い面接室に引きこもってクライエントさんのお話を聞き続けていると、社会と人とがどう関係して個人に問題が起こるのかが見えてくるのです。

 例えば私の相談室のあるこの地域では人口の流動が少ないこと、三世代同居が比較的多いことなどから起こってきているだろう問題をよく目にします。

 流動性の少ない社会、日本自体が元々そういう強い傾向がありますが、それが極端になると「同調圧力」がとても強くなります。つまり自分と周囲の人をいつも比べて思考や行動の規範にしようとするのです。そうでないと狭くて流動の少ない地域では白い目で見られますし、他の集団に移動することも難しいのですから。この地域の人々は親の代から「目立たないこと」「周囲に好感を持たれること」「人と違った生き方をしないこと」をしっかりと刷り込まれているようです。それが自然にできる人はいいのですが、生まれつきのその人の特性や、環境のためにそういう生き方や考え方をしない、できない人も多いのですが。

 人に合わせたい、人と同じ生き方をしたいと強迫的なまでに思い込む背景をよく聞いていくと、その人の親が子どもにそう教えてきたことが非常に多いようです。

 確かにこれは親が育った高度経済成長期まではある程度当てはまる処世術だったと思うのです。勉強してよい会社に入り結婚して子どもを持ち、同じような環境の人と付き合ってそこそこ幸せになれる時代でした。

 けれど現代はもうそういう時代ではありません。そういう生き方ができても将来何が起こるかも分からないし、そもそもそういう生き方自体が少数派になってきている時代です。このような時代に幸せを手に入れられるのは、皆に合わせることができる人ではなく、自分にとって何が幸せであり、どうしたらそれに近づくことができるかを考える力がある人です。それは生きるエネルギーや未知のものへの好奇心ともつながっています。

 問題は同調圧力はむしろそういう生のエネルギーを押しつぶす方向に働くことです。みんなと一緒の考え方や行動をしていれば間違いない、みんなに合わせないと不安という気持ちは、その背景にやはり強い「不安」があります。前のブログで不安の中でもっとも根本的なものは生命の危機の不安だと言いましたが、同調圧力の根底にもそれに近いものがあるように思います。それから逸れると恥をかかされ、のけ者にされ、一人で孤立して助けてもらえない・・・そんな不安がその圧力の底にあるように思います。

今の社会でみんなと一緒の生き方や考え方をすれば幸せになれるかと考えると、その可能性は限りなく低い。でも先の見えない不安な社会だからこそ、皆に合わせて生きていくことでなんとか生き延びようとする。不安になると無意識のうちにそういう傾向に拍車がかかるのです。・・・でもそれはなんと息苦しい生き方でしょう!

 

 

 

 

相談室から見えた虹です。

 

 私たちは主に精神的な不安に向き合う仕事をしていますが、それだけでなく今の時代、心を深く見つめなくても日々の現実的な不安は溢れています。誰も不安から自由にはなれないのですが、それでもそれを突き破るような生きるエネルギー、未知のものを探索したいという意欲、愛し愛されたい欲求が自然に湧き出るような生き方もできるし、それこそが生き延びる原動力になるのです。

 病気をしたこともあり、次の世代のために何が残せるのかを私も真剣に考える年になりました。私が微々たるものとして残せることの一つは、一人でも多くの人が不安に潰されることなく生き生きと人生を送ってほしいという願いとともに、不安に対抗する手伝いをすることではないかと思っています。そういう思いとともにブログを書き、クライエントさんと会い続けています。