カウンセリングの深さと質

私は現在、スクールカウンセラーと相談室のカウンセラー、二つの立場でカウンセリングを行っています。

学校での臨床と、相談室での臨床は、同じカウンセリングでも求められるものが大きく違います。

学校臨床では、私はカウンセラーとして、同じ学校に月に一度程度しか勤務できないことも往々にあります。生徒にとっては、私がいない時間のほうが圧倒的に長いのです。そうなると、まず求められるのは、私がいない時にも支えられる状況をどう作り上げるか、ということです。

カウンセリングの対象の生徒がある程度健康な場合には、一度だけのカウンセリングでも大きな変化が得られることもまれではありません。あるいは、月に一度のカウンセリングでも十分に支えられる場合もあります。若く健康で、未来があるということは、それだけでも大きな力になるのだな、と感動します。

相談室での臨床でも、もちろん一度のカウンセリングでよい方向に進む人もいらっしゃいますが、多くの方はひとりで長時間悩みを抱え続けて思い余って来室される方ですので、学校のカウンセリングよりも長期間、頻回のカウンセリングが必要になってきます。例えていうなら学校臨床は応急処置、相談室でのカウンセリングは応急処置を越えた治療、あるいは根治療法が期待される心理療法です。

心の健康度の高い人の場合、心の自然治癒力が高いために、応急処置だけでも十分に機能を果たすのです。つかえていた問題を少し取り除けると、再び自然に伸びてゆきます。が、長い間放置してきて悪い状態に固定された心を持つ人にとっては、応急処置のみでは一時的に元気になることはあっても、生涯満足するだけの状態に至ることが難しいのです。それは身体の健康と同じことです。

共感されて悩みを吐き出す、アドバイスを受ける、ということで十分な人もいらっしゃいます。それはそれでよいのです。が、それを越えて、無意識の未知の世界に足を踏み入れ、セラピストとの転移関係を生き抜いて変わってゆく人もいらっしゃる。カウンセリングを受ける人は本当に人それぞれです。そして、どのレベルで満足と思えるのかも、人それぞれで異なります。

私の経験で感じるのですが、若い人はある程度の地点に到達すると、早めに終結する傾向があります。若く未来がある人は、それだけ多くの出会いが期待できるからでしょう。言い換えると、未来の恋人、未来の夫や妻、そして子供との出会いと関係によってその人が大きく変わる可能性を秘めているのです。

未来の伴侶がその人の満たされなかった部分を補うかもしれませんし、子供を育てることによって自分自身の中の子供を育てなおすこともできるかもしれません。それによって十分に満たされた人生を送ることは可能です。言い換えれば、人生そのものが自分が治癒してゆくセラピーになるのです。

けれど、中年を過ぎて新しい出会いに自分を託す余地が少なくなった人、あるいは困難が大きく、出会いに期待できるほどの心の余地を持てない人には、そのままでは自分を解放することが難しいのです。そのような人たちにとって、根治療法にも対応できるカウンセリングが提供できることは非常に大切です。

熟練したセラピストによる精神分析的心理療法は、そのような願いを持つ人に対しても有効な、数少ない技法であると私は信じています。

ただ症状が改善することだけでなく、無意識も含めた人格全体の変容を期待できるのが、精神分析的心理療法です。そのために治療者の訓練期間も長く、治療期間もほかの治療法よりも長めになってしまい、現代社会にはあまり合わないかもしれません。が、そのような治療法が必要な人にそれを提供できるように、常に学び続けることが、私の喜びでもあります。私はそれが「好き」なのです。

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