うつや不安と情動調整の関係を脳科学から見る

 新年になりましたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

長く続くコロナ禍は人と人との生のコミュニケーションの機会を否応なく奪い続けています。人は元来社会的な動物で、気の置けない親族や友人との会話によって感情が和らいだり自信を取り戻し、究極的には急性期の統合失調症にさえ効果的だという研究さえあります(オープンダイアローグ参照)

人とのコミュニケーションは根本的な問題を解決できないとしても、ちょうど因幡の白うさぎがガマの穂でいたみを和らげたように、傷口を優しく包み込む力があります。

もちろんそのためにはお互いに思いやりのある、率直で悪意のない者同士である必要がありますが、そのような機会をささやかでも持てていた人にもコロナ禍という状況は容赦なく奪ってしまったためでしょうか?人との分断、孤立、抑うつを訴える子どもも成人も増加傾向にあるということです。

 私は長い間この地で臨床生活を続けていますが、30年前に比べて最近のクライエントさんの多くは、自分の悩みについて言葉で言い表すことが難しい場合が増えているように思います。言葉以前に、自身が何を感じているのかに気がつかないと言えるでしょうか。

最近私は脳科学に関心を持っていますが、興味深いことに自分が自分であるという最も大事な中核は、大脳皮質ではなくそれより古い大脳辺縁系や海馬、扁桃体、視床下部の働きによるものであることが分かってきています。つまり大脳がすべて機能不全になった患者でも、泣いたり笑ったり、遊びを好んだり、ディズニーランドで楽しんだりという生き生きとした感情は保っているという驚くべき状況が知られています。

このような脳の原始的といってもいい働きに比べて前頭葉を含む大脳新皮質は生後かなりたってから成熟します。

ちょっと話が脇にそれてしまいましたが、つまり人の赤ちゃんはこれまで言われているように、とても未熟な状態で出産されてきて、その存在のすべてを養育者に依存しないと生きられない特性を持っています。

赤ちゃんにとってはすべてが新しい体験であるだけでなく、前頭葉も大脳も未発達で、身体的なケアができないのと同じぐらい、自分の感情的なケアやコントロールもまた全くできない状態で世界に生み出されるのです。それはとても怖くて心細い体験であるはずです。なぜならば大脳皮質は未発達でも、海馬、扁桃体、視床下部はすでに発達しているので不快や不安、恐怖は感じるのですから。そのため赤ちゃんは自分では理由も分からずそれらの「何か」を感じた時に泣きます。それを取り除くことを養育者に任せることしかできないからです。

アタッチメントシステムは哺乳類の生

存戦略のために進化した行動機制だという話は以前にしましたが、人の場合特定の養育者に対してこれが始まるのが生後6か月ごろ、そしてほぼ確立するのは生後1年ほどと言われています。これは他の哺乳類と比べてかなり遅いのですが、それまでは自分の不快や恐れを、それが自分の生理的欲求(おっぱいやおむつ、眠りなど、あるいはどこかが痛くて辛いことなど)か、まぶしい、うるさい、寒い、つまらないなど外界に対しての欲求かの区別なく泣くことでしか表すことができなかったのですが、生後6か月頃からアタッチメント、つまり特定の養育者にくっついて不安を和らげる本能が発展してきます。この時期から人見知りや後追いなど、養育者にとっては面倒に感じる行動が出てきますが、これはアタッチメントシステムが発現している証拠ですからむしろ健全に発達していることを喜んでいいのです。

なぜ良いものなのかと言うと、それまでの赤ちゃんにとっては無力に感じていた不快感や不安感をアタッチメント対象の養育者によって和らげてもらえるという期待が芽生えた証拠だからです。期待できることは無力なまま放置されないだろうと思えることです。

人の場合、このアタッチメントシステムと並行して、精神分析用語で言うと養育者の「内在化」が起こります。簡単な言葉で言うと取り入れる、まねをするということでしょうか。

内在化が起こるにしたがって、子どもはその場に養育者がすぐに来て不安や不快を解消してもらえなくてもそれを期待して待てるようになってきます。もちろんその子の年齢や状況によって待てる時間は違いますし、待っても戻らない場合はやはり取り返しのつかない傷を心に与えますが。

話が前後しますが、動物のアタッチメントと人のそれが違うところは、動物には複雑な対人関係も社会性も必要ありませんし、言語を使わなくとも生きていけます。もちろん狩りの仕方など、取り入れなければいけない行動はありますが、人のそれほど複雑でもなく長期間でもないということです。

人の脳は非常に大きく複雑で、そのために不安になることや傷つくことも多くなります。

もちろんフィジカルな虐待は問題外ですが、身体的なケアを充分にするだけでは不十分です。子どもの感じる不安は年齢を重ねるにしたがって多岐に渡ってきます。そして子どもが今、どんな気持ちでいるのかを想像してそれを和らげる繊細な感受性が子育てでは必要です。

『ダニエラ:あなたは、調整されない恥が長期間続くことの有害な影響を強調しますー恥とは何ですか、そしてなぜそれはそれほど有害なのですか?

アラン:恥は、興奮した肯定的な状態から収縮した否定的な状態への急速な移行の間に誘発される情動です。典型的には対人関係が誤調律によって壊れた時に起こります。通常は予期せぬ形で、恥が起こると、私たちはスポットライトが自分に集中していると感じ、自分という人間の間違いをすべてあからさまにされてしまうと感じます。顔をうずめて視界から消えたい気持ちになります。死にたい気持ちになります。恥は常に内的崩壊の主観的な経験と関連しています・・・』アラン・N/ショア 右脳精神療法 P229

つまり興奮して外界に好奇心を持って探索しようとした後、不安になり養育者に慰めを求めようとして戻っても養育者は子どもに対して無関心だったり拒絶的だったことが恥の原型だとこの著者は主張しています。

多くの成人のクライエントさんはこれほど早期の体験を記憶してはいませんが、それに似た状況の生育上のトラウマを報告して、それがどれほど苦痛だったか、自己肯定感が下がったのかを語ってくれます。

けれどこういう深い部分の恥に関する話は、セラピーの最初にはなかなか出てくることはありません。なぜならばそれは自分の人格自体の弱さで恥ずかしい部分だから直面できないし、したくないと感じるからです。

しかし上記で述べたように、私たち人間の脳は意識的にコントロールできない部分の方がはるかに多いのです。それは言ってみれば人間という種の脳の進化と文明の進化の早すぎた代償なのでしょう。

安心で安全な環境で、アタッチメント対象の養育者が子どもの不安や過度の興奮にうまく対応して調整できる人物だった人は幸運ですが、そうでない人が成人になってもコントロールできないうつや不安に頻繁にさらされるからといってそれはその人の責任ではありません。その人が弱いからでも甘えでもありません。まして恥じることもありません。

そのような気分調節の問題で苦しむ人は専門家に助けを求める選択を考慮していただければと思います。

 

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参考文献:アラン・N・ショア 右脳精神療法 岩崎学術出版社

     マーク・ソームズ 意識はどこから生まれてくるのか 青土社

     トッド・E・ファインバーグ ジョン・M・マラット 意識の進化的起源 勁草書店