生物の歴史と脳の進化についての一考察

 私は子どもの頃、恐竜や古代の生物、人類の進化などに関心を持っていましたが、長じて人の心について学ぶことになり、最近また子どもの頃の関心の続きで、人という生物の脳、特に感情はどのように進化してきたのかについて興味が戻ってきました。

 幸運なことに、脳科学は私の若い頃に比べて格段に進歩して、特に私たちが学んだ頃はまだフロイトや精神分析、学習理論など、心の働きは分かっても具体的にどの部分がどう働いているのか分からなかった、感情や無意識についてまである程度分かってきています。

 今から46億年前に私たちの住む地球ができ、そして38億年前に最初の生物が現れました。初期の生物はごくシンプルなバクテリアのようなもので、その頃はまだ生物が生きるために他の生物を食べる「捕食活動」は存在しませんでしたが、捕食活動が始まってから脳の進化は加速します。食べられないように、そして生き残れるようにまず危険を察知する脳、そして食べることと生殖に関わる脳が発達します。生き延びるためには食べられないことがまず第一なのでこの進化は理にかなっています。人間の不安を司る、脳の最深部にある扁桃体という部分に似た働きをする部位は魚類にもすでに見受けられます。

 両生類、爬虫類は繁殖を卵で産んでいましたが、哺乳類になると胎児を出産するようになり、授乳して独り立ちするまで親が養育するようになります。これによって卵で産むよりも生存率が飛躍的に伸びますが、同時に脳も大きく発達します。哺乳動物が育児をすることで、幼体は生き残る確率を高めるために、不安な時、つまり扁桃体が危険と判断した時に母親に近づく本能を身に付けます。これが人にも存在するアタッチメントという本能です。そして母親も幼体を守るための本能を身に付けます。これが母性本能と呼ばれるものです。

 面白いのは、このアタッチメントや母性本能は偏桃体由来の不安より後から進化してきたもので、そのためか環境によって変化しやすいものです。例えば猫なども、ストレスの多い環境の場合、母猫が養育を放棄したり食べてしまうことも知られています。

 ただこの哺乳活動によるアタッチメントが存在する動物は興味深いことに種によっては群れを作る習性を持つことがあります。キリン、シマウマ、ライオン、オオカミ、象、犬などは群れで行動して狩りや育児を協力します。これは卵で産まれる生物にはない、感情的なつながりを群れに対して持っているということだと思います。もちろんそうでない哺乳類も存在します。トラ、熊、猫などは単独行動の動物として知られています。蛇足ですが、これは私の推論でしかありませんが、単独行動の動物は群れを作らない代わりに縄張り意識が強いように思います。彼らにとって幼少期のアタッチメントは成体になった折には群れに対してではなく場所に対して向けられるのではないかと思います。つまり群れの中にいることによる安心感の代わりに見慣れた場所に対する愛着が強いのではないかと想像しています。

 私は猫を長年飼っていますが、猫は基本的には成体になれば単独行動をする動物ですが、飼い主との関係が深まると飼い主との関係の中で安心感を持つ動物だと気が付きます。つまりアタッチメントを持つ哺乳動物は単独行動をする種であっても後天的に母親とは別の可愛がってくれる存在と情緒的なつながりを持つことがある程度可能なのだと思います。

 霊長類の他の哺乳類の脳の特徴は、前頭葉の発達です。彼らはある程度学習して覚え、場合によってはそれを元に推測して未来を予測することもできるようです。

 これが霊長類、特に類人猿になるとより前頭葉が発達します。そして人類の祖先のネアンデルタール人やホモサピエンスになると、母親が出産できる限界まで頭部が大きくなり、巨大化した頭部のほとんどは前頭葉で占められています。そしてそれだけでは足りず、前頭葉が充分に発達するまで長い長い養育期間を要するように進化してしまいました。

 それによって何が起こったか?言葉の獲得、道具の使用、他の哺乳類や霊長類では考えられないような巨大で複雑な社会構成を発展させていきます。この脳の巨大化は、進化的にとんでもないスピードで進みます。現代の科学技術、複雑な社会や文明を見ると、それらは巨大化した前頭葉の恩恵と思われますし、もちろんそうなのですが・・・

 長い歴史の最初に獲得した、生き残るための本能を司る扁桃体、それに密接に関与する、食欲や性欲を司る視床下部、そしてその後哺乳類としての生き残りのための本能的行動であるアタッチメント、これらは大脳辺縁系という部分を通して前頭葉に影響を与えています。

 アタッチメントシステムは元々は哺乳類の幼体を危険から守り、生き残りの確立を上げるために発展した本能なので、人類の他の哺乳類にとってはそれほど厄介なものではなく、母親に近づいて不安をなだめるというシンプルな行動パターンだったのでしょうが、人類の脳があまりに急に大きくなったこと、そして養育期間が異様に長くなったこと、言葉の獲得の際のとても微妙な波長合わせ(メンタライゼーション)など、不安と不安をなだめる必要は他の哺乳類のまま温存し、その上それを前頭葉と結び付けて複雑な概念を繰り社会化しないといけないというとんでもない負荷のかかる養育期間をクリアしないと脳がバグるという、とても厄介で繊細な精神機能を持つことになったのだと思います。

 実際、臨床場面で不安が強い状態の人は理性的に考えられない、あるいは考えられても自律神経系の問題などで身体的に不調をきたすのをよく見てきますが、これほど複雑な脳を短時間で進化させて、もっと短時間で地球を大きく変えるほどの文明を発展させてしまった人間の脳はかなりリスキーで繊細な扱いが必要なものだと思います。

 人として理性的な行動を取ることができるように前頭葉を最大限に上手に使うためにも、不安と不安を和らげるアタッチメントシステムがうまく作動するような育児や、不具合を起こした脳=心への適切な対応の必要性を、国家が、もっと言えば人類全体が考えないといけない時期にすでに人類は待ったなしで入っていると思うのです。

 

参考文献 地球・生命の大進化 田近英一他 超圧縮 地球生物全史 ヘンリー・ジー 絶滅の人類史 更科功 ポリヴェーガル理論入門 ステファン・W・ポージェス

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