みんなと同じになりたい 2

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 私がカウンセリングで出会う人たちの多くが「みんなと同じになりたい。」と訴えるという話は前回しました。私はこの言葉を「お母さんと同じになりたい。」という意味と解釈しました。

 子どもが最初に憧れ、同一化する人物は一番身近な養育者であり、それは男の子でも女の子でも大抵「お母さん」に当たるという意味で、「お母さんと同じになりたい」という願望は誰にでも無意識に存在しているものだと思います。ですが、成長の過程で、憧れたり同一化したりする人物は、だんだんと社会に向けて変化するのが自然です。

 日本人は「同調圧力」の強い民族だと言われています。つまり「みんなに合わせないといけない」という暗黙のプレッシャーが強いのです。このことは集団の統制という目的では良い部分もありますが、個人として生きる上で大きなストレスを受ける要因にもなっています。

 「みんなと同じになりたい。」と悩むとき、その「みんな」とは何でしょう?会社、クラス、親族、地域、友人たち、・・・ごく狭い、限られた世界でしかありません。その狭い世界の他の人たちと異なることが、その人を苦しめるとすると、その人らしさが発揮されるチャンスを潰すことになってしまいます。

 そうは言ってもこの「みんなと同じになりたい」という思いは、「そうじゃないとみんなに見捨てられる。」という不安とワンセットになっているので、なかなか克服できないものです。

 「みんなと同じになりたい」と思う代わりに「誰かのようになりたい」と思いませんか?そんな人物を青年期までに見つけられた人はとても幸せです。もちろん「お父さん」「お母さん」ならば最高ですが、学校の先生や、友人、先輩、恋人、「この人は信頼できる。この人に認められたい。この人のようになりたい。」と心から思える人に出会うことができたならば、その後の人生が大きく変わると思います。

 「みんな」という不特定の対象では、対話することも本当に認められることもありません。そのためにいつもその人の心には不安が残ります。でも長所も短所もある生きた人物と関わり、その人を自分の理想として取り入れようとする体験は、人が大人になる過程でとても重要なものなのです。

 もちろん、理想はある程度の幻滅を伴います。ですがそれでも人がある時期、ある人物を理想とすることは、その後、もっと抽象的な、自分自身の倫理や信念を形成するためにとても大切なものなのです。そしてそのような信念を持つ人は、「みんな」という中身のない存在におびえることなく、逆境でもぶれずに生き抜く力を持っています。

 ですから、多くの人が「みんなと同じになりたい」と願うのではなく、「あの人のようになりたい」と思える人と出会えるといいと、心から祈っています。そして私自身も一人の大人として、カウンセラーとして、そのような思いを向けられることに耐えられる存在であり続けたいと願っています。