「生きづらい」「よくわからないけれど生きるのが苦しい」人へ

201731223458.jpg

カウンセリングで扱う悩みと心療内科、精神科で扱う悩みの一番の違いはどんな点でしょう?

心療内科や精神科では何らかの症状をターゲットにして治療します。たとえば、「摂食障害」「睡眠障害」「不登校」「うつ症状」などです。それらの症状を改善することを目標に、薬物療法や心理療法を適用していきます。

それに比べてカウンセリングは、もちろん最初の症状にも重要な意味があるのですが、症状の身を改善することにあまりこだわりません。けれどこれはカウンセリングではその症状が改善しないという意味ではないのです。むしろ逆に、カウンセリングが進むにつれてほとんどの症状が軽快したり消えていきます。

実はカウンセリングが最も効果的なのは、症状を消すことよりも「よくわからないけれど生きるのが苦しい」という状態に対してです。

私たちの悩みは、実は症状よりも「よくわからない苦しさ」の方が深刻なものではないでしょうか?

そのような苦しさを持つ人は、どうしてもぐるぐると考えてしまいます。「なんでこんなに苦しいんだろう?」「私だけがこんなに苦しんでいる」「これは気のせいでは?」「甘えではないのか?」「私はだめな人間だ」etc. 苦しみながら自分を責め、誰かを責めたくなってしまいます。

この状態はとても辛いものです。症状だけならば、身体の症状と同じように「この症状を消すためにこれを飲もう。」とシンプルに受け止められますが、自分でもわからない苦しさはどう扱ったらいいのでしょう?

このような苦しみの言葉を、さまざまな人から何度も聞いてきて感じるのですが、そのような苦しみを持つ人は、心のどこかでアクセルとブレーキを同時に踏んで動けなくなっている状態のようなものです。

何がアクセルで何がブレーキなのか?どのような思いがその人をその苦しみに踏みとどめているのか?

そこを探るために時間をかけます。なぜ探らないといけないのか?探らなくてもその状態をなくせばいいのではないか?と思うかもしれません。

たしかに、その状態を止めることができればよいので、それだけをターゲットにする心理療法もあります。が、大抵の場合、そのような苦しみの背景にあるのは、子どもの頃からの不幸なつまづきの積み重ねです。

それは無意識に隠れているもので、根がとても深く、その人の性格や生き方と同化してしまっているために、そこだけを取り除くのは困難で苦しいものです。

このような入り組んだ問題の探索に時間がかかるために、精神分析的心理療法はかなり長期間になってしまうのですが、それだけの価値はあります。

それがうまくいった場合、自分で自分の苦しみの理解が深まったと感じるだけでなく、「生まれて初めて自分のことを本当に理解してもらえた。」という深い安心と満足感が生まれます。

アクセルとブレーキを同時に踏む必要もなくなり、ぐるぐると苦しむこともほとんど消え、それが出たときも自分で方向修正できるようになります。

人にはそれぞれ、これまでの人生で生き延びるために保っている生き方の偏りがあるものです。そのような独特の自分の苦しみを、言葉だけでなく感情を伴って他者に理解されたという体験は、その人自身が自分を受け入れる原動力となるものです。


トップページ