人の不安と愛着の関係

  実を言うと、私がアタッチメント(愛着)理論に巡り会ったのはつい4~5年前でした。私の大学院時代にはまだ理論自体が現在のように整備されておらず、有名でもありませんでしたので学んでこなかったのです。独学ですから厳密に正確な内容でない点もあるかと思います。正確な知識を得るためにはどうぞ文献をお読みください。アタッチメント理論自体は科学的手法に基づいて証明可能なものですが、私が語るものは厳密に学問的なものでなく、あくまでも私の考えている仮説としてお読みください。

 私がアタッチメント理論を学んでいくうちに「これはすごい理論だ。」と実感するに至ったのは、この理論がこれまでバラバラだった人の心を包括的に捉えるかなめの部分となる可能性があるからでした。

 簡潔に説明すると、「人間の心は脅威に備えるための動物的な脳の働きから来る不安が生まれつき備わり、それをコントロールするためにアタッチメントの本能がある。それが安定して作動することで、人としての文化的社会的生活を営むことがよりうまくいく。」ということになります。

 脅威を感じた時に養育者に近寄る行動、つまりアタッチメント自体は鳥や哺乳類など親に頼らなければ生きていけない生物には皆本能として備わっています。つまり人見知りや後追いの行動は養育者を見つけて安心感を得るために必要な行動なのです。

 人が動物と異なる点は、動物は成長するに従って母親を安全基地にすることをしなくなり、独り立ちしていきます。「動物は一定の場所を安全基地(アタッチメント対象)にする。」という見方もあります。その一方で人は、人生のごく早期にだけは一人だけの養育者を愛着対象にしますが、だんだんとその対象は広がっていくのが自然です。父親、兄弟、友達、先生、そして配偶者や尊敬する人物、あるいは文学や芸術の場合もあるでしょう。不安がいったん落ち着くと人は遠くまで冒険したり新しいものを作り上げたりする心の余裕が生まれます。

 人が自らの安心するさまざまな存在を見出すことが人生そのものともいえます。

 また人の場合、動物のようにただ近づいて保護を求めるだけで安心を得ることでは足りず、よりぴったりと不安に寄り添うにはどうしても言葉で伝える必要が出てきます。そのせいで、うまく言葉で共感することが上手なお母さんはよいのですが、そうでない人、あるいは環境的にそれどころではない人も存在しますし、そもそも子どものどんな不安や不満にもぴったりと寄り添って理解してあげられるお母さんは存在しません。

 人は多かれ少なかれ、解消できない不安を抱えてそれを何とかやり過ごす術を見つけて生きていっていると言えます。

 人の不安がよりやっかいで、これほど多くの人にとって障害になるのは、すなわち人が動物的な不安をうまく収めて生きていくことの難しさだといえると思います。仕様としてそうなってしまう。人類が高度な文化を築いた代償かもしれません。

 共感的な言葉が人の心をなぜ楽にするのか?

分かってもらえたと感じることには安心感があるからです。その理由がこんな生物学的なお話から説明できるのは興味深いですね。

 

 参考になる本 アタッチメントに基づく評価と支援 

        メンタライジングの理論と臨床

        愛着理論と精神分析