カウンセリングで大切なこと

私は大学院時代からユング派の夢分析を5年ほど受け、その後、フロイト派の2人の分析家から分析とスーパービジョンを受けました。 なぜ変わったのか、それぞれに理由はありますが、一つの学派では物足りないと感じたのが大きな理由です。 ユング派の夢分析のみでは、転移逆転移を扱いきれないというのがフロイト派精神分析を学ぶきっかけだったのですが、それだけでも足りないものを感じ、対象関係論、発達障害、脳と身体、食事などの生活習慣の関係、マインドフルネス瞑想法などの瞑想にまで、その関心は広がり、学んだり自ら実践したりを繰り返しています。 そしてだんだんと理解してきたことは、身体と脳、脳と心、心と魂は相互につながっていて、それらすべてが個人のパーソナリティに影響を及ぼすということです。 もしかすると、その影響は前世までさかのぼるものかもしれませんが、とりあえずまだそこまでは手をのばしておりません。 よい例をあげましょう。 最近、私が仕事をしていて、妙に動悸がしたり頭が重い日が続きました。「更年期のせいかな?」「何かの神経症的症状なのだろうか?」と考えていたのですが、ある日、着ていたセーターの防虫剤の匂いが鼻につき、脱いでみたところ、動悸や頭痛が消えたのです。「これは、防虫剤の過敏反応かも?」と、自宅にある防虫剤をすべて処分したところ、その妙な症状は治まりました。適切な要因にたどり着けなかったら、今でも私はその症状に悩まされていたでしょう。 心理的な問題でも、これと同じようなことはしょっちゅう起こります。 「こだわりが強い」という症状があるとしても、それが、過去の体験から来る心理的な要因の強い強迫神経症だととらえるのと、発達障害的な要因から来ているととらえるのとでは、同じ心理療法でもアプローチの仕方が変わってきます。前者ならば主に精神分析的な心理療法を選びますが、後者の場合、「こだわる」というものはある程度生まれついての特性ですので、それとどのように折り合いをつけるかが中心になってきます。 つまり、治療者の持っている引き出しの多い方が、その人それぞれの特性に合った心理療法ができる可能性が増えるのです。 人の心は本来、カットされたダイアモンドのように、多面的な側面があり、見る方向によって色も変わってきます。それを的確につかむためには、治療者側も、常に自分の知らない部分に開かれていないとついてゆけません。もちろん、基本的には精神分析的心理療法という技法を使っていますが、自分の心の中心はひとつの学派に留まらず、自分自身も常に学び、考え、成長してゆく必要があると思っています。 そしてそれがこの仕事をしてゆく上で、一番難しく、またやりがいのあることなのです。