不登校と愛着(アタッチメント)の問題

20172262197.jpg

 不登校は中学になり激増します。これまでとは違う、多人数の学年や部活動、試験など、新しい体験は不安なことばかりです。そんな中で初めは頑張っていた子が病気をきっかけとして、あるいは朝起きられなくなって不登校になっていくというのが典型的なパターンです。

 周りの人は焦り、何が原因だったのかと探り、どうしたら学校へ行けるようになるのだろう?と必死で探します。そのようにして私と出会う方も多くいらっしゃいます。

 不登校のお子さんの生育歴を聞いてみると、大抵、「手のかからない子だった。」「優しい子、反抗期もなかった。」「お母さん思いだった。」と言われます。強烈ないやいや期を体験した人は少ないようです。

 保育園や小学校の様子はまちまちですが、総じて自分から積極的に友達と関わるよりも、受身だったことが多いようです。

 思春期の課題の話を以前したかもしれませんが、思春期の課題とは一言で言えば「自発性」に尽きます。自発性とは自分の意志で行動するということです。何がやりたくて何をしたくないのか?その気持ちがはっきりとわかっていなければ自発的な行動はできません。

 それまでは、漫然と言われるままに学校へ行き、同級生と遊んで家に帰って・・・という生活に矛盾を感じなかった場合でも、思春期になり、他の人が積極性を身に着ける中でふと新しい世界に不安を感じることがあります。

これは皆が通る道です。大人はこれを「第二次反抗期」と呼んだりします。口答えをする、話しかけても「別に」としか言わない、親に対する痛烈な批判をする・・・そんな経験は誰にでもあるはずです。

不登校のお子さんの場合は、その反抗が「学校へ行かない」という形になってしまっていると感じます。ですが、それは客観的に見て感じることで、当事者は「行きたくてもどうしても行けない。」と感じていることが多いものです。けれど無意識でも反抗ですから、学校へ行かせようと周囲ががんばるほど行けなくなります。

どうして不登校という形でしか、反抗できなくなっているのか?

 ここからは私の推察ですが、そのようなお子さんは不安の強い子が多いようです。そしてお母さんにお会いするとやはり不安が強い。母子ともに不安になってしまってお子さんが身動きが取れず、不安の強い外の世界に出ることができなくなり家の中にこもる。そのような悪循環がよく見られます。

 ここでタイトルにあるアタッチメントとの関係が浮上します。アタッチメントについてはかなり複雑で、しかも興味深い概念ですので、別の機会に詳しくお話したいと思っていますが、つまり子どもの養育者への愛着形成のことです。

 子どもは自分の不安を養育者になだめてもらうことで、だんだんと自分自身で自分の不安をコントロールできる力をつけていくようになる。簡単に言うとそのような意味です。

 この養育者の機能を、人によっては「安全基地」と呼んだりします。不安な外界に出ていけるのは、安全基地が機能するからです。

 動物の親子ではこの機能はとてもシンプルで分かりやすいですね。犬も猫も、子どもの頃は好奇心旺盛ですが、不安があればすぐに親の元へ戻ってきます。

 人の場合はかなり複雑で込み入ってきてしまいます。ちょっとしたすれ違いでその機能を身に着けそびれてしまうことも往々にあります。

 手のかからない子、優しい子だったということは、言い換えれば不満や不安を親にぶつけることが少なかったと言えます。愛着形成は、子どもの不安を養育者がなだめる体験にかかっているので、不安をぶつける経験をして来なかったことはむしろ不利になります。

 思春期の体験は、強烈な不安の連続です。そして自発性とは、親からの独立をも意味しています。その体験をくぐり抜けるためには、基礎の部分に基本的な安定感、自分の心の不安を自分でなだめる能力が身についている必要があります。思春期という次の課題に取り掛かるためには、その前の課題をクリアする必要があるのです。

 不登校の子どもの場合、家にいるということ自体が、自分の不安をなだめようとする試みになっていることもありますから、それについて問い正すよりは見守る方がよい場合も多いものです。

 このような場合、どうしたらよいのか?と尋ねられる保護者の方、特にお母さんへの私のカウンセリングの処方箋はシンプルです。まずお母さん自身の不安を軽くしていくこと、回り道のようですが、これが一番根本的な、そして堅実な解決への道です。お母さん自身の不安が軽くなれば、子どもの不安を受け止める器もできてくるからです。そうしながら、どういう対応が子どもの安定と発達によいのかを考えていきます。

 

トップページ