人間の脳とアタッチメント9 投影同一化と脳機能部位の関連(2)投影同一化の始まり

赤ちゃんが、何かの不快感を感じて本能的に泣くときの脳の機能部位のプロセスを挙げると。

  1. 赤ちゃんが泣く際の脳の関与

新生児や乳児が泣く場合、特に空腹や身体的不快感に由来する泣きについては、
扁桃体・視床下部・脳幹などの原始的な脳領域が中心的に関与します。
高次脳(海馬や前頭前野など)は、まだ未成熟で、記憶や認知的評価にほとんど関与しません。

つまり、この段階の泣きは、「感覚的で身体的な警報反応」と言えます。

  2. それでも生涯にわたる安心感・自己効力感に影響する理由:

ここが重要なポイントです。なぜ、まだ海馬が未発達で記憶が形成されないにもかかわらず、この時期の養育者とのやり取りが一生涯の心理的基盤となるのでしょうか?その理由は以下の通りです。

① 「手続き記憶(非宣言的記憶)」の役割

  赤ちゃんの頃の体験は、「宣言的記憶」(意識的に言語化できる記憶)ではなく、無意識的で身体的な「手続き記憶」として保存されます。 この手続き記憶は、海馬ではなく、線条体や小脳、扁桃体など、より原始的な脳領域が関与しているため、赤ちゃんの初期の養育体験が言語化されず無意識的に記録され、身体的・感覚的な形で保持されるのです。

② 情動調整回路の基盤形成

扁桃体と視床下部を中心とした情動システムが、養育者との相互作用を通じて早期に「安心感や安全感」と結びつきます。
赤ちゃんが泣き、その泣きに対して養育者が適切に反応すると、赤ちゃんの扁桃体・視床下部系は「情動が調整される体験」を繰り返し経験します。これは、「安全基地(ボウルビィ)」の最も基礎的な形成です。

③ 「神経ネットワークの構築」としてのアタッチメント

アラン・ショアの「右脳精神療法」が強調するように、初期のアタッチメント体験は、言語的・記憶的にではなく、脳の基本的な神経ネットワーク(特に右脳)の接続パターンとして定着します。これらのパターンは後年、ストレスや不安に対して情動を調整し、他者との関係性を形成・維持する上で重要な「基盤」として働きます。

3. 猫アタッチメントの理論的観点から

「猫アタッチメント(感覚的アタッチメント)」とは、まさにこの段階での感覚的・情動的相互作用の質を指しています。猫アタッチメントが形成されるこの時期に得られる感覚的な安心感(あるいはその不足)が、後年の情動的な安定や、自己の根源的な価値感覚に大きな影響を与えるのです。

この時期の赤ちゃんの海馬が未発達でも、その時の養育が生涯の安心感や自己効力感に影響を与える理由は、手続き記憶、情動調整回路、神経ネットワーク構築という非言語的なレベルでの脳の基盤形成が起こっているからです。

右脳を介する基本的なネットワークとは?

右脳を介する基本的な神経ネットワークのプロセスについて、アタッチメント形成の視点から具体的に整理します。

1. 右脳がアタッチメント形成に重要な理由

乳幼児期の脳発達では、まず右脳が左脳よりも早期に成熟します。右脳は言語化できない非言語的な情報処理を専門としており、特に感情、感覚、身体反応、非言語的コミュニケーション(表情、視線、触覚)を統合します。
乳児は養育者との非言語的コミュニケーションを通して情動調整を学び、このプロセスは「情動の基盤形成」として脳内に定着します。アラン・ショアが強調するのは、この右脳を中心とした非言語的な相互作用が、生涯にわたる情動調整の基盤になることです。

2. 右脳を介する具体的な神経ネットワークの形成プロセス

次のプロセスが右脳中心に繰り返されます。
① 身体的・感覚的な刺激の入力(入力プロセス)
赤ちゃんが泣くなどして、養育者の注意を引きます。
養育者の視覚、聴覚、触覚などの刺激が右脳の後頭葉、側頭葉、島皮質などを介して入力されます。

② 扁桃体を介した情動評価(情動プロセス)
養育者の脳に入力された刺激は扁桃体で素早く評価されます。 安全・安心なのか、危険・不安なのかの情動評価が瞬時に行われます。 扁桃体はこれらの評価を視床下部や脳幹に伝え、自律神経系(心拍、呼吸、血圧)に影響を与えます。

③ 右前頭前野(特に右眼窩前頭皮質:右OFC)を介した調整と統合(調整プロセス)
扁桃体からの信号は右前頭前野(特に右眼窩前頭皮質、OFC)へ伝達されます。OFCは情動や刺激を評価し、「安全・安心」を提供する養育者との相互作用を統合的に処理します。 OFCが扁桃体からの不安や不快の信号を調整(制御)し、乳児の身体ケアをするとともにに言語的まは非言語的(声をかける、ゆらゆらする、皮膚接触する)にコミュニケートして乳児の情動を落ち着かせます。

④ 右島皮質の役割(自己感覚の形成プロセス)
赤ちゃんの島皮質は内受容感覚(身体の内部感覚)を認識・処理します。 養育者が赤ちゃんの不快感を適切に処理してくれることで、「自分の不快感や感覚は処理可能である」という身体的自己効力感や安心感を、島皮質を介して脳内に定着させます。

⑤ 右側頭頭頂接合部(右TPJ)を介した他者認識と関係性構築(社会的プロセス)
右TPJは相手の意図や情動を非言語的に読み取り、養育者との非言語的コミュニケーションを通じて「自分と他者」の関係を理解しはじめます。この過程で、「自分は養育者にとって大切な存在である」という感覚を非言語的に学びます。

3. 繰り返しにより神経ネットワークが形成されるメカニズム

上記のプロセスが繰り返されることにより、脳内の神経回路が強化(Hebb則:「一緒に発火する神経は結びつきを強める」)され、右脳を中心とした情動調整回路が神経ネットワークとして定着します。
養育者が適切に反応する体験が繰り返されるほど、右脳のOFCや島皮質などの情動調整領域と扁桃体との調整機能が強化されます。 結果として、情動調整能力が成熟し、「安心感」の基盤が非言語的に脳内に刻み込まれます。
逆に、不適切または不安定な養育が繰り返されると、扁桃体中心の情動過敏状態が続き、OFCとの調整能力が弱くなり、慢性的な不安や不安定な自己感覚を形成してしまいます。

まとめ(神経プロセスの簡潔なモデル)

養育者の感覚刺激 → 扁桃体(情動評価)→ 右眼窩前頭皮質(情動調整・統合)↔︎ 赤ちゃんの島皮質(自己感覚) ↔︎ 右TPJ(他者との非言語的関係性)

右脳を介したこのプロセスは乳児期の初期に集中して繰り返されることで、「言語以前の深層的な情動調整力(猫アタッチメント)」の基盤を作ります。これが後に「犬アタッチメント(内在化)」を支える重要な土台にもなるのです。

そしてこれが重要な部分ですが、この養育者と赤ちゃんのやりとりは、まさに最初期のメンタライジングと投影同一化と言えます。今述べた右脳を介した神経ネットワークのプロセスは、心理学的なレベルでの「投影同一化」と「メンタライジング」のやり取りを、脳科学的に説明したものに非常に近いと言えます。以下、その一致をより明確に整理します。

① 投影同一化との一致
投影同一化はクラインが提唱した概念で、自分が耐え難い情動(赤ちゃんであれば不快感や不安)を相手に「投げ込み(投影)」、相手がそれを受け取り、共感的に処理(同一化)して返すという心的プロセスです。
赤ちゃんが泣きで不快感を養育者に伝える行動が、まさに「投影」です。
養育者が赤ちゃんの不快感を受け止め(同一化)、安心感を与える形で情動調整することで、赤ちゃんは「調整された情動」を取り入れる(再内在化)というやり取りが成立します。
脳科学的には、赤ちゃんの不快感が扁桃体から発信され、それを養育者の共感的対応(非言語的メンタライジング)によってOFCが調整・統合し、安定化させるプロセスです。これはまさに「投影同一化」の神経メカニズム的説明です。

② メンタライジングとの一致
メンタライジング(Fonagy)は、自分や他者の情動や意図を認識し理解する能力を指します。特に非言語的なメンタライジングは、右脳を中心に行われます。
養育者が赤ちゃんの泣きを理解しようとする(赤ちゃんの気持ちや意図を非言語的に読み取る)行動は、まさに「メンタライジング」です。
右TPJ(側頭頭頂接合部)は相手の情動や意図を非言語的に推測する中核的領域であり、ここが活性化することで養育者は赤ちゃんのニードを非言語的に理解します。
養育者がメンタライジングにより適切に情動調整を行うことで、赤ちゃん側の右OFCや島皮質などが刺激され、赤ちゃん自身の非言語的メンタライジング能力の基盤を形成します。

③ 脳科学的プロセスと心理学的理論の統合図式

次の図式が示すように、これらが非常に明確に一致しています:

| 心理学的プロセス | 神経科学的プロセス |
| ————– | —————————– |
| 投影(不快情動の表現) | 扁桃体・視床下部・脳幹(情動・感覚) |
| メンタライジング(情動理解) | 右TPJ(非言語的情動・意図理解) |
| 同一化(受容・共感的応答) | 右OFC(眼窩前頭皮質)・島皮質(情動調整と自己感覚統合) |
| 内在化(安心の取り込み) | 右脳全体の情動調整ネットワーク強化 |

アラン・ショアの強調する右脳中心の情動調整ネットワークのプロセスは、クラインの「投影同一化」およびフォナギーの「メンタライジング」と見事に整合しています。