精神分析的心理療法の最終目標 

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 心理療法を学び、習得するためには長い時間と訓練が必要なのですが、私自身を振り返ると、初心者のころはまず、カウンセリングの継続に力を入れてきました。

 カウンセリングはある意味で、カウンセラーの人格で仕事をしているような部分があります。クライエントの立場からは、いつも「この人はどこまで信頼できるのか?私のことを考えてくれているのか?」と気になるものです。若かった私は一生懸命でしたが、その一生懸命さは果たしてどこまでクライエントに添ったものだったのか、あるいはクライエントの気持ちからずれた独りよがりのものだったのか、分からなかった部分が多々あったと思います。

 年月が経ち、カウンセリングが継続するようになってからは、目標はクライエントがカウンセリングの中で成長して変容し、生き生きとした人生を生きることができるようになることに変わりました。今でもその目標は変わりがありません。

 ありがたいことに、最近では、長く来ていただくクライエントの方たちのそのような変化を一緒に体験することができ、「卒業」していかれる方たちを見送ることができるようになりました。卒業を迎えることは、カウンセラーとして一番の喜びです。

 私が精神分析的心理療法にこだわる理由は、それが一番人格の深い部分にまで到達して、一番大きな変化をもたらすことが期待できるからです。

 人の中には生き生きとして、生産的で、他の人との関係の中で意味のあるものを築いていこうとする部分と、感じることに抵抗をして、変化を拒否し、繰り返しの世界を生きることを望む部分の両方が存在します。本当は大切な柔らかい感性も、それを理解しようとする他者の存在がなければ、感じることがとても難しいものです。

 後者のような生き方ばかりを人が続けているならば、その人はまるで自分の一部が死んでしまっているように体験するでしょうし、そうでなければ周囲の人が苦しむことになるかもしれません。人生の罠にはまったように感じることもあるでしょう。

 そのような、とてもセンシティブな、人の生のあり方を、私自身のたくさんの経験を通して理解するために、長い年月がかかったのだと思います。

 できるならば、そしていつまでできるのかはわかりませんが(始まりがあれば終わりもあることを認めるのも、生き生きとした生を生きるために大切です)この仕事を通して、人が生き生きとした、生きるに値する人生を歩むことを助けたい、それが今の私の願いです。