夢分析を受けていたこともあり、夢については関心を持っています。
夢は、とても興味深いものです。頻繁に夢を見て、よく覚えている人もいますが、ほとんど覚えていない人もいます。
また、同じ人でも、印象に残る夢を頻繁にみる時期と、ほとんど夢を覚えていない時期があるものです。
では、どのような時期によく夢を覚えているのでしょうか?大抵の場合、人生での大きな変化のあった時期や、身近な人を失った時期によく夢を見て覚えているものです。しかも、変化のまさにその最中でなく、一息ついた後に見ることが多いのです。
これはなぜかと考えると、夢とは意識に上っていない、あるいは意識から追い出された、無意識と意識の境界線に上がってきた、メッセージのようなものだからです。あるいは、まだ意識に上ってない、自分の気持ちのたまごのようなものでしょう。
それをそのまま忘れて流すか、それとも大切に暖めて孵して育てるか。それによって自分の気持ちも、見る夢も変わってきます。
例えば、夢分析で、自分にとって大切な誰かが死ぬ夢を見るとします。それはどのように考えられるのでしょうか?
フロイト流に言えば、自分が無意識でその人に腹を立てていることを表すのかもしれません。あるいは、その人から自立したい無意識の願望を表しているのかもしれません。
そのようなことを話し合ってゆくと、これまで見えていなかった自分の心の奥の気持ちが少しずつ広がって見えてきて、気が付いたらその気持ちを意識できるようになってきたりします。
また、面白いことに、夢をみるようになると症状がだんだん消えてくるものです。たとえば、死に対する不安が強い人が、自分が死ぬ夢を見たのちに、その不安が徐々に軽減してゆく、などということがよくあります。
さらに面白いのは、夢は意識から注目されると、よく覚えていられるようになるものです。夢分析で夢について語るとそのあとにその疑問に答えるような夢を見たり。まるで意識と夢とが会話をしているように、夢が連続して出てくることもあります。
夢はどうやら、意識よりもはるかに深く広く、自分自身や世界を知っているようなのです。
ただ、残念なことに、最近は夢を素材に持ってくる人は少なくなりました。夢を見て、それに関心を払うのには、時間もエネルギーもいるものです。最近はあまりにも人が忙しくて効率主義に走り、夢を覚えていること自体が難しくなったのではないかと私は考えています。